ケース1:黄昏の公園で

 

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マキったら、飲みだすと、愚痴りだすと、きりがないんだから。女ふたり、パブで飲むビールなんて味気ないことこのうえない。彼女ったら、人の仕事時間中に電話をかけてきて、

「仕事が終わったら十分だけ話聞いてよ。」

だなんて。それでまたマキの失恋話を聞かされて。一体この一年間で何人目なのよ。どうしてそういつもいつも振られてばかりいるのよ。絶対に焦りすぎ。彼女の焦りがきっと相手に伝わって、相手が引いちゃうのよね。こういうことは、相手をじらすくらいにしなければいけないのよ。なんて偉そうなこと言っても、私も振られ続けて、いまだに独身。他人のことはとやかく言えないんだけど。

 

でも、マキの話、あんまりつまらないんで、途中で

「今日はやることがあるからもう帰る。」

って何度も言ったんだ。でも、

「お願いもう一杯だけ付き合って、おごるから。」

って泣きつかれて、結局中ジョッキに三杯も飲んじゃった。つまみもなしに、ビールばっかり三杯。まだ夕飯だって食べてないって言うのに、こんなに飲んでどうするのよ。もうお腹がタポタポだわ。何が「十分だけ」よ。もう七時半じゃないの。ええい、マキのやつ。

 

私って、実は膀胱が大きいほうじゃないのよね。パブを出るときにトイレに行ったけど、地下鉄に乗ったとたん、またお腹の下の方が切なくなってきちゃった。地下鉄にトイレはないし。乗り換えるときに、必ずトイレに行っておかなくちゃ。でも、これはちゃんと計算済みなんだ。乗り換えはもう次の駅だもの。そこの駅のトイレは有料だけど、それだけに中はきれいなの。でも、長いエスカレーターを上がった一番上のコンコースにあるのよね。そこまで、ちょっと頑張らなくてはいけないの。でも、きれいなトイレって最近なかなか希少価値だし。

 

ちょっとちょっと。どうして駅でもないのに停まるのよ。人の気も知らないで。それに、いつまで停まっているのよ。こら、運転手、何とか説明したらどうなのよ。もうおヘソの下がシクシクしてきたじゃない。おい、こら、運転手、早く動かせ。いけない、おしっこがどんどん溜まってくるのが分かる。どうしよう。

 

やっと動き出した。結局二十分も停まってたじゃない。「先行する電車の故障」だって。今頃説明してどうなるのよ。もう後五分長かったら、電車の中でお漏らしをするところだったわ。そんなことになったらどうしてくれるのよ。

 

あそこがいよいよ痛痒くなってきた。こうなったら、駅を降りたら、ダッシュするしかないわ。小学生のころから短距離は得意。これでも運動会ではいつもリレーの選手に選ばれていたのよ。ともかく、昔の脚力を信じて頑張るしかない。それなのに、もう、こんな日に限ってこんなに高いハイヒールを履いてきちゃった。パンプスなら二十秒くらいは稼げるのに。

 

さあ駅だわ。早くドアを開けるのよ。こら、早く開けろ。この駅の間取りは何度も乗り換えたのでよく知っている。「駅の間取り」って言うのも変だけど。ここを右に曲がって。そうしたらエスカレーターがあるのよ。エスカレーターに乗って一気に・・・何してんのよ。エスカレーターって、片側は歩く人のために空けておくものなのよ。皆ベタッと立ち止まって。ルールを知らない人たちばっかり。観光客なのかな。田舎者。そんなこと、どうでもいいのよ。こっちは切迫してるの。どうして、エスカレーター、今日に限ってこんなに遅いの。両側はつまらないミュージカルのポスターばっかり。誰が高いお金を払ってこんなもの見るのよ。ホントに腹が立つ。

 

やっと上に着いたわ。あと五十メートル。やった。努力の甲斐あり。何とか滑り込みセーフ。あと少し転ばないように走らなければ。今転んだら、確実にお尻の下が水溜り。そうなったら目も当てられないわ。いけない、ちょっと気を抜いたら、下着が少し濡れたような気がする。何事も最後の最後まで手を抜かずに頑張らなければ。でも、スーツを着たキャリアウーマン風の、自分で言うのもナンだけど、結構ルックスの良い女性が、ハイヒールをカラコロ言わせて、マナジリを吊り上げて、髪の毛を振り乱して走っている姿って、他人の目にどう映るのかしら。

 

ええっ。こんなのあり。ショック。どうしてトイレの入り口が閉まっているのよ。「工事中につき使用禁止」だって。勝手に閉めないでよ。こっちはアテにしてんだから。おしっこの出口が痛い。まずい。またちょっと漏れたみたい。今日は桜色のブラとおそろいのワコールの高級ショーツなのに。人間、いつどこで救急車に乗せられ病院に運ばれるかも知れないから、下着だけは恥ずかしくない物を身につけるというのが私のモットーなの。でも、今はそんな講釈を垂れているときじゃない。こんな人通りの激しいコンコースの真ん中で、ジャージャー始めたら、身の破滅だわ。「三十二歳の独身OL、ラッシュ時のコンコースで失禁」明日の新聞種になるわ。呆然としてる場合じゃないわよ。何とかしろ。考えろ。

 

そうだ。駅前にベンチのある小さな公園があったわ。木も生えていたし、繁みもあった。暗闇にまぎれてやれば分からないわ。それに土の上なら、多少漏らしても、辺りが水溜りになることもないわ。頑張れ、あそこまで辿り着こう。女は根性よ。

 

ええっ。外はまだ薄明るいじゃん。もう八時なのに。今何月なの。六月か。くそっ。それに赤信号。どうして今日はこんなに運が悪いのよ。もう恥も外見もないわ。「恥も外聞も」だったかしら。そんなこと、もうどうでもいい。スカートの上から手で押さえないと、漏れ出しちゃう。足が何故かタップダンスの動きをするの、もう止めることはできない。

 

やっと青信号。道路の向こう側の公園に突進。下着はともかく、何があってもスーツだけは汚すわけにいかない。それだけは固い決心。このスーツ、昨日クリーニングから返ってきたばかりなの。それに、スカートは薄いグレーの長めのタイト。黒い生地なら多少濡れても構いやしないけど、こんな薄い色を濡らしたら、くっきりとそこだけ濃く染みになって、「私はおもらししました」って看板を下げているようなもの。恥ずかしくて、ここからアパートまで地下鉄に乗って帰れなくなっちゃう。

 

繁みの中はだめだ。背が低すぎる。膝ぐらいまでしかない。こんな中でしゃがんでスカートをまくりあげたら、周りの人に分かってしまう。見物人が集まって来て「素人放尿ショー」になってしまう。でも、立ったままだとスカートが汚れちゃうし。

 

ああ、もうホントにだめ。ベンチがある。座りたくないけど、もう立ってはいられない。限界。私はここでついに粗相をしてしまうのね。「粗相」なんて古い言葉、よく思いついたわ。スカート、どうしよう。恥ずかしいけど、座ったまま、ぎりぎりまでまくり上げるしかない。周りの人たち、お願い、私がマイクロミニを履いているって思ってほしい。ショーツとパンストはまさか下ろせない。このままするしかない。苦しい。ブルブルって震えが来た。もうだめ。

 

熱いものが出始めた。黄昏の公園で、ベンチに腰掛けたまま、スカートを腰までたくし上げ、黒いストッキングに包まれた太股を露わにして、私はおしっこをしています。なんて実況中継をやっている場合じゃないわ。自分でも信じられない格好。ショーツとパンストの中に溢れるおしっこが熱湯に感じられる。早く止まって。早く土に染み込んで。

 

きゃあ。一メートル半前を人が通った。中年のおっさん。こちらを見た。私がおしっこをしているって、きっと気がついたわ。だって、ベンチの青いプラスチック板の隙間から落ちるおしっこで、足元にしぶきが立っているもの。それにしても、このおしっこ、どうして止まらないのよ。ビール三杯分はもうとっくに出ているわよ。

 

やっと止まった。よかった、何とかスカートだけは汚さずに済んだみたい。その代わり、お尻から太股まではビショビショ。でも、お尻を拭くのは後。とにかくこの「現場」を離れないと。さっさと立ち上がり、急いでスカートを元に戻すのよ。

 

夏の夕方の公園。涼しい風が吹き抜けていく。でも、よく見ると、周りはアベックばっかりじゃないの。そんな場所で、どうして私だけがこんな惨めな格好でいなければならいないのよ。ついさっき、熱湯で洗われているように感じた下半身、急にスースーと寒くなってきた。いやだ、歩いたあとにポタポタ雫が垂れてる。お願い、誰も見ないで。おい、そこのアベック、そこのおっさん、ジロジロ見るな。早くどこでもいいから物陰を見つけて、ティッシュでお尻と太股を拭かないと。

 

この歳になって、股から雫を垂らしながら駅前を彷徨するなんて。人生で最低最悪の一日。悔し涙で、ネオンが滲んできた。くそっ。マキのやつ、今度、会ったらしこたま飲ませて、それで、わざとトイレに行かせないで、もっと人通りのある場所で、もっと惨めな目にあわせてやるから。

 

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