ケース6:手術室での出来事

 

 

fdc

 

 

 私の名前は福原由貴。O大学医学部付属病院の新米看護婦。でも、看護婦って言っても、病室で患者さんの世話をしているわけではないの。私の配属は手術部。毎日、次から次へと運ばれて来る患者さんを、片っ端から手術しちゃう部門なの。言わば、一日中、血を見て過ごしているわけね。よく、若い娘が、毎日血を見ていて、怖くないのって聞かれる。怖いわよ。今でも、手術の前にはドキドキする。でも、「お仕事」だからって、最近は自分を割り切れるようになった。一種の慣れだと思う。

 手術部のスタッフにはそれぞれの持ち場がある。実際メスを握るのは、もちろん教授、助教授の先生方。その先生方のアシスタント、例えば先生方にメスを手渡したりするのは、ベテランの看護婦さんたちのお仕事。それを私たちは「直接介助」って呼んでいるんだけど。私たち新米は「間接介助看護婦」って言って、点滴や輸血の準備、これから使う器具を準備したり、要らなくなった器具の後片付け、それから血なんかで汚れたり滑りやすくなった床の掃除とかをすることになっている。

 今日の午後の手術は「僧帽弁置換術」という心臓の手術。つまり、心臓に人工の弁をつけるわけね。執刀は島村綾乃先生。副執刀が岡林信康先生。

 同僚と昼食を済ませた後、手術部に戻り、ピンクのナース用手術着に着替える。よく、好奇心の強い人たちに、特に男性から、手術着の下はどうなってるのって聞かれる。下着は何もつけていないの、手術着を脱いだらスッポンポンかって聞かれるんだけど。残念でした。私の病院の場合、一応、自分の下着は脱ぐけど、不織布で作った、使い捨てのブラジャーとパンティをしてます。以前は「スッポンポン」の病院もあったらしいけど。

着替えを済ませた後、空気のシャワー、消毒液での手洗いの後、「清潔エリア」に入り、婦長さんの指示で手術の準備を始める。手術開始時刻の十五分前に岡林先生が来られた。先生は、四十歳前後のがっちり系で、すこし白髪の混じった短髪。ちょっと見るとラグビーの選手のように見える。でも、いかにも「外科医」って感じ。先生はもう一度、レントゲン写真や、CTスキャンの写真を見て、本日の手術について確認をしておられる。

執刀の先生方と、直接介助看護婦は緑色の手術着に緑色のガウンを着ている。これは、人間の肉や血が、オレンジ色や赤なで、その補色の関係にしてあるんだって。ずっと赤いものを見つめていて、一瞬視線を上げたときに、残像が残らないようになっているそうな。だから、手術室の天井や壁も薄緑色に塗られているわけね。

手術開始予定十分前、予備麻酔を掛けられた患者さんを手術室に運び入れ、私ともうひとりのナースが、血圧とか心電図のケーブルをつなぐ。麻酔科のドクターが麻酔の操作を始める。おかしいな。開始予定時刻の二時になっても、執刀の島崎先生はまだ現れない。

二時五分になり、島崎先生が小走りで手術室に入って来られた。顔には大きなマスク、頭をすっぽりと包むキャップを被っておられる。手術室ではお化粧は禁止なので、今日の先生はスッピンなのであるが、マスクの上から除く先生の長い睫毛と大きな目を見ただけで、島崎先生の美貌はすぐ分かる。

先生のお歳は既に三十代後半だと思う。「島崎綾乃」って言う、純日本的な名前からは想像もできないくらい、西洋風の顔と体格をしておられる。少しウェーブのかかった黒い髪、大きな目、長い睫毛、高い鼻。ラテン系の顔って言うか、先生がスペイン人との混血だって言っても誰もが信じると思う。

そして、同性の私が言うのも変だけど、先生の肉体、いやお身体の色っぽいこと。

この前、夜勤明けの朝、島崎先生がジョギングをしておられるのに出会った。水色のノースリーブのTシャツに、グレーのスウェットパンツで走っておられた。Tシャツの胸は、汗で大きな染みができていた。その汗に濡れたTシャツの下には、貧弱な私の胸の三倍はあろうかと思われる、夏みかんほどの乳房が揺れていた。確実にCカップ。そして、引き締まったウェストの下で、見事なヒップがプリプリと揺れていて、女の私が見ても、思わずグッとくるような、見事な肉体。汗に濡れたお顔も、弾んだ呼吸も、少し官能的でよかったわ。

その美貌を持ちながら、先生は独身を貫き、有能な心臓外科医として活躍しておられる。島崎先生は、私たち看護婦のアイドル、羨望の的なの。

手術が開始された。二人の先生方は立ったまま、時々顕微鏡を使いながら、手術を続けておられる。人工弁の装着は技術的にはそれほど難しい手術ではなく、予定では二時間で終わることになっていた。

約一時間半が過ぎた頃、島崎先生が岡林先生にこうおっしゃった。

「これじゃまずいわね。最初からやり直したほうがよさそうですね。」

何か、手術に不具合があったのか、手術は予定より長引きそうな気配であった。

その会話があって十分ほどして、私は島崎先生の異常に気がついた。先生は先ほど言ったように、緑色の手術着の上に緑色のガウンを着ておられるが、そのお尻から足元を、絶え間なく小刻みに動かしておられるのだ。その振動のせいか、指先の縫合作業がどうしてもうまくいかないらしい。時々、天井を眺めて、深呼吸をして、その下半身の動きを止めようと努力しておられる。しばらく手術を続けられるのだが、間もなく、下半身の動きが始まる。島崎先生、今日は何か体調が終わるいのかしら。私はそう思った。

そんなことがまた十分ほど続いた。

一瞬、島崎先生の指の動きが止まった。そのとき、最初はかすかに、その後だんだんと大きく、「ジョーッ」と音がした。そして、島崎先生の手術着のズボンの裾から最初はポタポタとしずくが、それから大量の黄色い水が垂れはじめた。「ジョーッ」音は、島崎先生の出されたおしっこが、勢いよく不織布のパンティに当る音だったのだ。島崎先生のおしっこは一分以上続いた。手術室のタイルの床には、直径七十センチくらいの黄色い水溜りが出来た。おしっこが止まると同時に、島崎先生は「おなら」もされた。長い、糸を引くような音が、静かな手術室の隅々まで聞こえた。おしっこを調整する筋肉と、肛門の周りの筋肉って、ゆるむときは一緒だったっけ。私は自分の記憶をたどる。

島崎先生のズボンは、半分透き通った状態になって、先生の太ももからふくらはぎの内側に張り付いている。先生の顔の大半は、マスクに隠されていてよく見えない。でも、外から見る限り、先生の表情は変わっていないように思われる。

岡林先生が私を見て、

「こらっ。福原君、何をぼうっとしてるんだ。さっさと床を拭かんか。」

と怖い顔でおっしゃった。私はあわてて、部屋の隅に走り、モップに新しい使い捨て雑巾をつけ、床を拭く。島崎先生のおっしっこの量が多かったので、全部を片付けるまでに、雑巾を五枚取り替えた。

それから三十分後、手術は終わった。

「あとは、私がやっておきますから、島崎先生、お休みになってください。」

と岡林先生がおっしゃった。島崎先生は、そのとき初めて顔を赤くされて、来られたときと同じように、小走りで更衣室の方へ戻っていかれた。

島崎先生が出て行かれてから、岡林先生が私たち看護婦におっしゃった。

「今日のことは、絶対他言してはいかん。分かったな。」

私の心の中は、島崎先生に同情する気持ちよりも、先生に対する尊敬の気持ちでいっぱいだった。自分が、女性としてとっても辛い立場に置かれているにもかかわらず、先生は、自分を犠牲にしてまで、自分の責任と職務を全うされたのだ。それに、恥ずかしい出来事の後も、島崎先生は、表情ひとつ変えずに、手術を続けられた。本当のプロだと思う。もしも私が仕事中に同僚の前でお漏らしをしてしまったら、その場で泣き崩れてしまうだろうし、とても平常心で普段通りの仕事を続けられないと思うの。

仮に、今日のことが世間に知れたとしても、島崎先生のことを良く言う人はいるだろうけれど、悪く言う人はないと、そのときは思った。

けれど、岡林先生の口止めにもかかわらず、美貌の島崎先生は病院内の有名人、言わば「アイドル」なので、話はどこからか漏れ広がってしまった。私自身、エレベーターの中で、若いドクターが小声で話をしているのを聞いた。

「あの島崎綾乃が、手術室で屁をこきながら、小便垂れたって話・・・・」

そのとき、

「そんなことを話題にするのはやめてください。」

って、思わず言いそうになったんだけど、やっぱり言えなかった。相手がドクターだから?そうかも知れない。

 島崎先生は、それから四ヶ月くらい勤務を続けられたが、その後、「アメリカ留学のため休職」と言うことで、病院を去って行かれた。それが、前からの予定ではなく、失禁事件によるものだってこと、病院の誰もが知っていた。

 

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