華道展

突然お便りを差し上げます。I県M市に住む羽田由紀子と申します。現在、幼稚園の教諭をしております。淡木様が女性の「おしっこ」、「粗相」についての話を集めておられるとお聞きし、今回お便りすることにしました。私の尊敬する華道のお師匠さんに関する話です。女性の「粗相」と一口に言っても、中には尊厳に満ちたというか、尊敬に値するものもあるということを、淡木様やその読者の皆様に知っていただきたいと思い、敢えて筆を執った次第です。
この出来事があった当時、私は地元の大学の三年生でした。幼稚園で働いていて感じることは、いくら幼児が相手とは言え、人に物を教える、人の上に立つことは大変なことだということです。若輩の私がこんなことを言うのも大変僭越ですが、今回のこの話、まさに「人の上に立つ者」の心得のひとつということで、お聞きいただければと思います。
私は中学生の頃より華道教室に通っております。私の教室は美鈴流で、師範は早川登紀子先生です。先生のお歳は当時六十二、三歳だったのではないでしょうか。細身で、教室ではいつも和服姿、常に背筋をピンと伸ばしてキビキビと行動しておられました。
その年の三月、近隣三県の華道教室が集まり、I県の県庁所在地、K市のデパートでかなり大きな展覧会が催されました。美鈴流だけではなく、池坊やその他、色々な流派のメンバーが作品を展示することになっておりました。
展覧会は土曜日と日曜日でした。土曜日の朝、早川先生と弟子の私たちは、マイクロバスを借り切って、高速道路をM市からK市へ向かいました。普通なら一時間程度の道のりです。参加したのは先生を含めて十人、活花の材料や大きな花器があるので、大きめのマイクロバスで行くことになったわけです。
先生の指示で、私たちは全員和服姿でした。最近はジーパンで華道教室来られる娘さんも多いのですが、これは余り感心しません。早川先生の方針は、
「活けられた花だけではなく、場所、服装、そして心、全ての物が融け合って、花を愛でる雰囲気が作られる。」
というものでした。普段のお教室のときも、ジーンズやTシャツは禁止です。私もその日の朝早く、近くの美容室で成人式の時に買った振袖を着付けしてもらって、K市に向かったのでした。
会場に着くと、まず展示品の準備にかかります。前もって撮ってあるパンフレットの写真を見ながら、それと全く同じになるように活け直すわけです。
土曜日、展覧会は思ったより盛況でした。一応有料ということになっているのですが、前売り券は弟子達が自腹で購入し、親戚や友人に配っていました。しかし、そのようにして招待された方だけでなく、当日自分でお金を払って見に来られた方もかなりおられたと思います。
会場で、私たちは多忙でした。花は生き物ですので、展示中に何度か手を加えなければなりません。しかし、何より、招待した方がいらしたとき、その人たちにご挨拶し、ご案内するのに結構時間を取られました。展示場には小さな喫茶スペースがあり、お客様には、「お飲み物券」をお渡しし、そこでコーヒーやお抹茶を飲んでいただきました。
前置きが長くなりました。事件は、一日目が終わって、高速道路でM市へ戻るときに起きたのでした。もう、だいたい想像がついておられるかと思いますが、渋滞です。大きな事故があったとかで、K市のインターから高速道路に乗ったとたん、マイクロバスはびっしりと他の車に囲まれ、全く動かなくなりました。
「事故の情報がもうあと十分早く入っとりゃ、高速に乗らんで下道から行ったのに。」
と運転手の米坂さんがぼやいています。この運転手の米坂さんだけが男性で、その他は全員が和服姿の女性です。
そのうち、恐れていたことが起こり始めました。私の隣に座っていた森村杏里さんが落ち着かない様子で、ピンクの地に白いボタンの模様をあしらった振袖に包まれた下半身を小刻みに揺すり始めたのです。
「トイレに行きたいの?」
私が尋ねると、杏里さんは頷きました。かなり切羽詰った様子です。私はお客様を接待した際、喫茶スペースに座っても、できるだけ自分ではコーヒーやお茶を飲まないようにしていたのですが、杏里さんは沢山飲んでしまったようです。
私もどうしてよいのか分からず、「困ったときのお師匠さん頼み」、早川先生に相談することにしました。
「あの、森村さん、ちょっとおトイレを我慢できないみたいなんですけど。」
と私は先生に耳打ちしました。
「羽田さん、活花を入れるバケツ、積んできたかしら?」
「いいえ、まだ明日もありますので、全部会場に置いてきました。」
早川先生は杏里さんの傍へ行き、彼女の肩に手を置いて尋ねました。
「どうしても我慢できないの?」
杏里さんは泣きそうな顔で頷きます。
「仕方ないわね。米坂さん、ちょっと路肩に寄ってちょうだい。」
先生言われて、運転手の米坂さんは、路肩に車を寄せました。路肩の向こう側はすぐに防音壁で、道路から離れることはできません。車を降りて、路肩で用を足す以外に方法はなさそうです。幸い他に路肩に停まっている他の車はありません。しかしマイクロバスの陰になっているとはいえ、前後数台の車からある程度見られることは避けられないようです。
早川先生がマイクロバスのドアを開けました。
「森村さん、降りて早くやってきなさい。」
先生が言います。しかし、杏里さんは恥ずかしのか、中腰の姿勢のままお尻を動かせているばかりで、なかなか車から降りようとしません。
「何グズグズしてるの、しょうがないわね。」
そう言うと、早川先生は車を降りました。そして、車とガードレールの間にしゃがむと、手馴れた様子で、浅黄色の着物の裾をサッと捲り上げ、真っ白なお尻をお出しになりました。先生は、着物に下に下着をつけておられなかったのです。そのお尻の下から、勢いよくおしっこが「発射」される様子が、車の窓ガラスを通して見えるだけではなく、開いたドアから音としても聞こえてきました。
早川先生は用を済ませ、懐から取り出した紙であそこを拭かれました。それからすっと立ち上がり、着物の裾を直し、いつもの正しい姿勢でマイクロバスに乗り込んで来られました。
「さあ、これでやり方は分かったでしょ。」
先生は杏里さんに言いました。杏里が意を決した様子で中腰の姿勢のまま段を降りようとすると、先生が後ろから声を掛けました。
「森村さん。パンツはここで脱いでいきなさい。」
杏里が顔を真っ赤にしながら、振袖の裾を割り、手を突っ込んでパンティーを探し当て、膝までずり下ろしました。私は彼女に駆け寄って、パンティーを足から抜くのを手伝ってあげました。レースの付いたピンクと白の縞模様のビキニのパンティーが私の手に残りました。まるで小学生が穿くようなパンティーです。
杏里さんは車を降りました。しかし、森村杏里は振袖の裾と袖をもてあましている様子、中腰の姿勢のまま。ブルブルと震えているだけです。
「羽田さん、袖と裾を後ろから持ってあげなさい。」
お師匠さんに言われた私は、車を降り、自分の着物の袖が地面に擦れないように注意しながら、後ろから杏里さんの振袖の裾を持ち上げました。お襦袢と裾よけはまだそのままです。そのとき、杏里さんの足元に、パラパラと水滴が落ちました。
「あっ、いや。」
と杏里さんの声。杏里さんは我慢できず漏らしてしまったのでした。私は慌てて襦袢と裾よけも持ち上げました。そして、少し可愛そうでしたが、着物やお襦袢の裾を出来るだけ高く差し上げ、ぽっちゃり型の杏里さんの丸いお尻を丸出しにしました。でも、着物を汚さないためにはそれしかなかったのです。
「早くしゃがんで。」
私は叫びました。しかし、杏里さんは立ったままお漏らしを続けたのでした。膝を閉じたままだったので、おしっこの大半は、太股を伝って下へ流れました。
彼女の足の内側と、白い足袋、草履はビショビショに濡れましたが、何とか着物は汚さずにすんだようです。マイクロバスに戻った後、杏里さんは窓ガラスに顔をつけて泣いていました。彼女のすすり泣く声が誰も声を出さないバスの中に響いていました。
この後、結局マイクロバスは四十五分間動きませんでした。十五分ほど経って、
「私もダメ、もう我慢できない。」
と言って小野彩子さんが立ち上がり、慌てた様子でパンティーを脱ぎ捨てると、車を降りていきました。結局、杏里さんの他にも三人、高速道路の路肩で着物を捲り上げて用を足すことになったのでした。マイクロバスの横には、幾つかの小さな水溜りができていました。私は何とか最後まで我慢できましたが。
渋滞が徐々に解消しマイクロバスが動き始めたとき、私は
「もし、お師匠さんが率先しておしっこをしなければ、どうなっていたのかな。」
と考えました。おそらく、恥ずかしがってグズグズしているうちに、杏里さんだけでなく、他の何人もが、車内で漏らしてしまっていたことでしょう。そして、大切な着物におしっこで染みを作り台無しにしてしまい、お借りしたマイクロバスの座席や車内をおしっこで汚してしまっていたかも知れません。
早川先生もいくらお歳と言っても女ですもの、道端でおしっこをすることは、死ぬほど恥ずかしいことだったに違いありません。しかし、人の上に立つもの、人を率いる者の責任感から、率先して最初におしっこをなさったのだと思います。本当に先生には頭の下がる思いです。
***
翌日の日曜日、私たちは再び、M市からK市へ向かいました。早川先生は、お母様が使っておられというピンクの蓋のついたポータブルトイレを車内に持ち込まれました。本当にいつも用意の良い方です。
「今日は大丈夫よね。」
と私は杏里さんに聞きました。
「うん。実は私、今日は紙おむつしてるの。でも誰にも言わないでね。」
杏里さんは私の耳元で小声でそういいました。しかし、幸いなことに、その日は渋滞もなく、ポータブルトイレが使わるチャンスはなく、おそらく杏里さんの紙おむつも濡れることはなかったと思います。
この事件以来、私は早川先生を益々人間として、師匠として、改めて尊敬しなおすようになりました。
「他人の嫌がることをすすんで行う。」
これを言うのは容易ですが、実際は大変難しいものだと思います。私がもし先生だったら、あの局面で、弟子たちのために、着物の裾を捲り上げて、衆目の中で堂々とおしっこが出来たかどうか、自信はありません。
こんな「尊厳と尊敬に満ちた女性のおしっこ」もあるのだということを淡木様に知っていただきたく、お手紙を差し上げた次第です。失礼いたします。
羽田由紀子
